「縁」と「円」

 「キリスト教」とは「キリスト」の説いた「教え」という意味です。同様に「仏教」とは、シャカムニ「仏」の説いた「教え」と読みますが、同時に「仏教」は「仏になるための教え」とも読みます。「仏教は教育だ。」と言ったキリスト教神学者がいます。神による人間の救いや罰が説かれたものを宗教と考えるキリスト教徒からみると、「人が仏になる」ことを説く仏教は、宗教ではなく「教育」ということになるのです。

 「人(ひと)」「間(あいだ)」と書いて「人間」といいます。「人」は、<仏(ほとけ)>と<鬼(おに)>の「間」の存在という意味で、仏教用語の一つです。そして、その「間」にいる「人」が、<仏>になるために説かれた教えが「仏教」なのです。その意味では「仏教」はたしかに「教育」といえるでしょう。

 「人は変わる」。これが仏教の人間観です。生まれつき<鬼>もなければ<仏>もない、「人」は<鬼>にも<仏>にも変わる、だから「人間」なのです。

 では、何が「人」を変えるのかというと、仏教では「縁」だといいます。「人」は「良い縁」にふれると<仏>になり、「悪い縁」にふれると<鬼>になるのです。そして、「人」を<仏>に変える力を持った人を「善知識(ぜんちしき)」、つまり、「良い先生」といい、「悪知識」の怖さと共に、<仏>になるためには「良い先生」との「良い縁」が大切だとお釈迦さまは説かれました。

 「先生」というと私たちは学校の先生を思い浮かべます。でも、「人」を変えるのは何も学校の先生だけではありません。父母、兄弟、家族、友達、テレビや週刊誌などの情報、環境や教育、宗教も、「人」を変える力を持った「先生」なのです。子供にとって最初に出会う最大の影響力を持つ「先生」は、昔も今も父親・母親です。でも、それらの「先生」がみな「良い先生」かどうかは疑問です。

 親が子を、子が親を殺すという、まさに「縁」よりもおカネの「円」が大事にされる時代。お釈迦さまがこの世にお生まれになり、教えを説かれた目的は、私たちを<仏>という本当の幸せに導くためでした。<仏>になるには、「円」ではなく「良い縁」が大事。

 永昌寺では、毎年夏休みにお寺を会場に、全国の小・中学生を対象にした2泊3日間の修養道場『海辺のつどい』を38年前から開設しています。「仏の子」を育てる「善い縁」にとの願いから始めたもので、今年は8月4日〜6日に開催されます。

 「円」より「縁」。あなたも、<仏>になるための「良い縁」を大切にして下さい。

(平成18年6月 日蓮宗青森県宗務所に寄稿)

 

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