幸福不感症

 以前、お寺の入口の掲示板に

  幸せには鈍感
  不幸せには敏感

という言葉を書いたことがあります。

 よそめには随分恵まれた、幸せな境遇の人なのに、そんな自分の幸せに気付かない鈍感な人。反対に、ちょっとした不都合や不幸せにはとても敏感で、ギャアギャア大騒ぎをする人。  幸せには鈍感、不幸せには敏感
いかがでしょう。

幸福不感症という言葉があるそうです。幸福不感症とは、幸せなのに、自分の幸せを感じることができないという病気?です。だれが見ても不幸せというのならしょうがありません。そうではないのです。なのに本人はそんな自分の幸せが感じられず、いつも不幸せに生きている人。幸福不感症が不幸なのは、幸福を感じる心そのものが病んでいることで、そのためどんなに恵まれた境遇や環境になっても、それを幸福と感じられず、常に人生を不幸に生きなくてはならないことです。

 幸福は感じるものであり、発見するもの。その感じる心が枯れていてはどうしようもありません。そして、それこそが最も不幸なことなのです。

 幸せの青い鳥を訪ね、からっぽの鳥籠を持って旅をしたチルチルとミチル。虚しく家に帰ると、幸せの青い鳥はその家で囀っていた、というメーテルリンクの『青い鳥』。

 幸せは私たちが「気付き」「感じ」て、はじめて幸せといえるものなのです。
 法華経は、娑婆といわれる苦しみ多いこの人生から、天国や極楽浄土に逃げ出すのではなく、その娑婆の中で幸せを感じとることを教えた、「幸福不感症」治療の妙薬です。
 幸せには鈍感で、不幸せには敏感な私たち。幸せを敏感に感じ取れる、そんな「幸せな心」を育てようではないですか。

(平成18年10月16〜31日 テレホン説教)

 

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