ぎりぎり

 二月十六日は、日蓮聖人のご誕生日です。今から七八六年前の鎌倉時代、千葉県の南端、小湊という漁村の漁師の子として生まれました。太陽が懐に飛び込む夢をみて授かったことから、善悪の善に太陽の日を書く善日麿と名づけました。のち、十二歳で学問のために清澄寺に登り、十六歳で出家。是生房蓮長と名乗ります。その後鎌倉や京都比叡山で学び、法華経・お題目こそお釈迦さまの真の教えと確信。故郷清澄の山頂から登る朝日に向かってお題目を唱えられ、立教開宗を宣言。名を日蓮と名乗ります。三十二歳の春です。

 当時の日本は、阿弥陀さまのいる極楽浄土に往生することを願う、浄土信仰が大流行しておりました。そんな世の中の流れにおもねるものではなく、また逆に批判や非難を恐れるものでもなく、誰の応援も支援もない日蓮聖人ただ一人、ご自分が信解体得された法華経・お題目による救いを説かれたのです。

 安積得也さんという方の詩に「ぎりぎり」というのがあります。

  ぎりぎりのところは
  自分一人で判断する思考が
  ぎりぎりのところは
  自分一人で行動する決断が
  ぎりぎりのところは
  富士のようにひとりで立つ勇気が


という詩です。

 私たち日本人は、皆で渡れば怖くない式に、人のマネや皆と同じことを求め、そしみんなと同じ自分であることで安心しがちです。でも、人間、人生も、生き方も、ぎりぎりのところは自分一人なのです。人をあてにしたり頼っては駄目。自分で考え、判断し、決断し、行動する、そんな勇気が人生ではとても大切なのです。だって自分の人生なのですから。鎌倉時代、そんな勇気ある生き方をされた日蓮聖人に学ぼうではありませんか。

(平成19年2月16〜28日 テレホン説教)

 

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